セブの夜ふけに暇つぶし

セブでのお気楽な生活を独断と偏見に満ち溢れて綴っていきます

セブで76歳の老人の孤独な死・その2

「セブから日本へ苦難の道、シリーズ」の、あのY爺が2月9日に亡くなりました。
セブに舞い戻ったY爺は、暫くしてから私に連絡がありました。


聞けば、年末の寒い日本での滞在で無理がたたり体調を崩して、日本で有り金を全て使い果たした為、現在は一文無しの生活をしており、近所の人々から助けてもらいながらの生活をしているとの事。
それでは何故、無一文しでも近所の人々が助けてくれるかと言いますと、Y爺には年金が有り、その年金が入ると前後の見境なく、世話になっている近所の人々にお金をばら撒いているからであります。
Y爺が亡くなるまで面倒を見ていたのは、Y爺が住むアパートのオーナー(通称ママさん)と高利貸のW女史と亡くなった後も最後まで付き添っていたM譲、の3人で有りました、それ以外にもお金目的とは言え近所の人々の暖かいサポートが有ったようです。
先ず、アパートオーナーのママさんは、家賃は3,500ペソの所を、Y爺の部屋の掃除を定期的にする事で、5,000ペソをY爺は支払っていたそうです。
次に高利貸しのW女史、彼女自身も仕事を持ち、アメリカ人と結婚していることも有り、
小金持ちで、Y爺は常に年金を1ヶ月以内に使い果たし年金支給迄はW女史からの借金で食いつなぐ生活を続けていたそうで、その際借金の形にY爺のパスポートと銀行のATMカードを取り上げられ、年金支給日に銀行に同行し、貸した金を20%の金利を付けて回収しておりました。

M嬢は29歳で2人の子持ちで正式には結婚をしていない夫と彼女の家族とで10人以上が同居している典型的なP国の一般家庭であります。

(M嬢はよく見るとY爺好みのセクシー美人)


Y爺の暮らすアパートの直ぐ近所に住んでいたことから、Y爺とは彼女が16歳頃から家族ぐるみの付き合いが有り、度々彼女の家でご飯を家族と一緒に食べていたそうです。
生前、Y爺は「M嬢は俺に惚れている」とぬかしておりましたが、死後彼女に聞いた所13年以上の付き合いなのでロロ(お爺ちゃん)の様な存在で慕ってはいたそうですが、それだけだそうです、しかし以前からY爺の身の回りの世話をしていたので、毎月3千~5千ペソの小遣いを貰っていたそうで、貧乏家庭での彼女にとっては貴重な現金収入だった様ですが、彼女はY爺の為に独学で日本語を勉強し現在は片言以上のレベルであります。

(在りし日のY爺とM嬢家族)


日本から帰国後は日に日に体力が衰え、時々W女史とM譲に付き添われ地元の公立病院で診察を受けて薬は飲んでいた様だが、一向に回復する兆しはなく、オムツを履いた寝たきり老人となってしまいました、私も心配で時々見舞いに行き、気弱になりつつあるY爺を励ましオムツを差し入れてきました。


そして、2月9日!容態が悪化したY爺をW女史とM嬢が車に乗せ、マンダウエ市立病院に
向かう途中の車中で息絶えたそうです。(合掌)


                                つづく

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