セブの夜ふけに暇つぶし

セブでのお気楽な生活を独断と偏見に満ち溢れて綴っていきます

セブで困窮邦人にならない為の法則・1

私は未だ65歳前なので厚生年金は満額支給されず「7万円」でセブでの生活を営んで
います。
日本の会社を4年前に円満退社し、僅かな資産と退職金は日本の子供達に分け与え
緊急用の資金だけ日本の銀行に残しセブに住み始めましたのが2013年10月でした。



43年前に初めてフィリピンとの縁を持ち、その後P姉ちゃんにズッポリ嵌り度々
フィリピン詣でが始まりましたが後に日本人妻と結婚し子供も生まれ平和な日々が
続いておりましたが、本厄の40歳で女房に逃げられ、残された子供達と途方に暮れた
次第であります。
その後は子育てと仕事で無我夢中の時が過ぎ、子供達もそれぞれに独立し、ホット一息
我に返った時は、見るも無残な「ハゲ爺!!」


長女が「お父さん、モウ私達の事は良いから、お父さんは第二の人生を存分に楽しんで」
との、お達し! 全く娘に頭の上がらない情けない父親としては、ションベン棒と化した
竹光を抱え己の老後の行く末を案じ途方に暮れた次第であります。


その後は寂しさを紛らわすための錦糸町通い(ご存知、錦糸町はPパブの聖地)
そこで知り合った御同輩の武勇伝を聞くと、P姉ちゃんに注いだ資金は最低でも数百万
単位から上は天井知らず、挙句の果てにサラ金通いで一家離散そして破産、そんな話題は
錦糸町では普通でした。


それでも甘夢が忘れられず、最後に残った僅かな軍資金を握りしめ「鬼ヶ島」(P国)へ
渡り、穴の毛迄抜かれ放り出された困窮邦人!
その反面、Pパブで働くP姉ちゃん達は、ブローカー達に思いっ切り中抜きされた雀の涙程の収入を、働きもせずにブ~ラブラして口を開けて待っているいるP国の家族に
甲斐甲斐しくも送金し、自分はタコ部屋で「シーフード」カップラーメンをすする日々で
あります。
しかし賢く美人なPパブ姉ちゃん達はサッサと小金持ちのエロ爺を加え込み、関東周辺で
スナック店を出してもらい、


P国に御殿を建てP国に残してきた我が子を日本に引き取りついでにゾロゾロ付いてきたプー家族を数か月単位でもてなし段ボール箱数個分の
抱えきれない程のお土産を持たせて帰国させるので有ります。


スミマセン! 本題から外れてしまいました、続編は本題に戻ります。


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