セブの夜ふけに暇つぶし

セブでのお気楽な生活を独断と偏見に満ち溢れて綴っていきます

フィリピーナの悲しい現実

「フィリピンの女の人なんて、日本人の金持ちの男をつかむのが目的で、日本の飲み屋で働いてるんでしょ。そういう男つかんで楽しようという魂胆が許せない。日本に入れなきゃいいのに。」


現在の日本での若いフィリピン女性に対するイメージは、この様な意見が一般的です。
しかし、私達がセブで暮らすフィリピン女性のイメージは、貧しい暮らしの中で家庭を支える大黒柱として必死に働いておりながらも、シャイで陽気で明るく、人懐っこく、ノリが良く、カメラを向ければ喜んではにかみながらもポーズをとってくれ、こんな爺にも、目が合えば、微笑みながら気軽に挨拶してくれる女性が一般的な国民性なのです、
こんな時、私はセブに住んで良かったと実感します。
もし日本で、若い女性と目が合ってニカッとほほ笑んだら「ナンダこの変態エロ爺」と
白い目で見られるのが関の山では無いでしょうか?(苦笑)



私もセブに住み始めて、実感として感じたことは此の国の貧困層は全体の8割位と実感しました、その根拠は先ず銀行口座の所有者が国民全体の2割程度で、しかも国民性は
見栄っ張りで、どんな田舎や貧民街へ行っても液晶テレビが外から一番見える所にデ~ンとこれ見よがしに置いて有ります。


更に公務員は、一般的なイメージとしてはエリートですので、彼らはプライドが高い為”見栄っ張り”にも一層拍車が掛かり、ローン地獄に陥って青息吐息なのでツイツイ賄賂で世活費を賄う羽目に堕ちいってしまっているのが此の国の現状なのです。


此の国で驚くことは、電気店や家具屋を始め高額商品の値札は全てローンの金額が正札として表示されており、キャッシュ払いの値段を聞くと、店員が分厚いマニュアルの本を持ち出し値段を確認するのが一般的で、当然キャッシュ払いの場合は安い価格になります。


ですから一見中間層とみられる人々の暮らしも一皮むけば立派な貧困層なのが現状で
そのあとに連なる貧困層は見るも無残であり、一日2食が当たり前それでも食べる事が出来れば未だ幸せ.....。


大学を卒業しても、希望の職業に就けるのは極僅かでしかも、法律上の大学卒の最低保証は一ヶ月8,000ペソ、手取りで6,000ペソ前後(交通費やランチ代は全て自前)で一家を支えなくてはならないのです。


しかし皆さん、戦前までの日本は当時のフィリピンより貧しかった事はご存知でしょうか? 坂本竜馬に始まって明治新政府による戊辰戦争、日清日露戦争と続き戦費調達の
為に欧米のユダヤ資本からの天文学的な借金そして関東大震災の復興資金と借金地獄に墜ちて行き、一般庶民は貧困に喘ぎ、一方ではユダヤ資本と手を組んだ財閥は膨大な資産を
蓄えたが、終戦後の財閥解体で根こそぎユダヤ資本に搾取されてしまったのが事実であります、そして残されたのは戦後賠償の足かせです。
そんな貧困に喘ぐ人々は、若い男性は肉体労働者として女性は娼婦として、東南アジアへ多くの日本人が出稼ぎに行っていた歴史はご存知でしょうか? このフィリピンも例外では無く、当時の日本よりは豊かであり、インフラも整備されておりました。
現在はフィリピンの中でも最貧困地域となっているデュテルテ大統領の地元でも有る、
ミンダナオ島のダバオには、明治末期から戦前まで、最高で2万人の日本人が住み、日本人町があり、日本人学校もあり、あちこちで日本語が通じたそうです。


冒頭に出て来た「フィリピンの女の人なんて、日本人の金持ちの男をつかむのが目的で、日本の飲み屋で働いてるんでしょ。そういう男つかんで楽しようという魂胆が許せない。日本に入れなきゃいいのに。」
この言葉を、当時フィリピンに出稼ぎに来ていた日本人に聞かせたらどのような反応をするでしょうか?

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