セブの夜ふけに暇つぶし

セブでのお気楽な生活を独断と偏見に満ち溢れて綴っていきます

フィリピン人の「許し」の精神

平成28年1月26日(火)
フィリピンご訪問ご出発に当たっての天皇陛下のおことば(東京国際空港)


「この度,フィリピン国大統領閣下からの御招待により,皇后と共に,同国を訪問いたします。
私どもは,ガルシア大統領が国賓として日本を御訪問になったことに対する答訪として,昭和37年,昭和天皇の名代として,フィリピンを訪問いたしました。それから54年,日・フィリピン国交正常化60周年に当たり,皇后と共に再び同国を訪れることをうれしく,感慨深く思っております。
フィリピンでは,先の戦争において,フィリピン人,米国人,日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては,膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き,この度の訪問を果たしていきたいと思っています。
旅の終わりには,ルソン島東部のカリラヤの地で,フィリピン各地で戦没した私どもの同胞の霊を弔う碑に詣でます。
この度の訪問が,両国の相互理解と友好関係の更なる増進に資するよう深く願っております。
終わりに内閣総理大臣始め,この訪問に心を寄せられた多くの人々に深く感謝いたします。」


レイテ沖海戦で連合艦隊が壊滅した事で、日本軍は完全に補給を断たれ、レイテ島10万、ルソン島25万に取り残された形となり、1945年6月までの戦闘で主力部隊が壊滅した以降はジャングルを彷徨いながら散発的な戦闘を続けるだけとなった。多くが餓死し、マラリアなどの伝染病や戦傷の悪化により死んでいった。フィリピン進攻以降のフィリピンの戦いでの日本軍の戦死者(戦病死者を含む)は日本軍がアジア・太平洋戦争で戦った全戦線において最も多く(約35万人)その過半はフィリピン防衛戦での餓死と推定され、極度の飢餓から軍の統制は崩壊し、各々食糧を求めて彷徨ううちに時に畑の芋を巡って争い、一部に人肉食に至るなどしたという。


未だ、戦死者の多くの遺骨は収集されておらず、此のセブでも山奥に行くと旧日本軍の堀た洞窟や塹壕の跡が数多く残されております。


私もセブに住み始めて4年が経ち、フィリピン人の生活習慣や文化にもだいぶ慣れて来ました、「フィリピン人は約束/時間を守らない」「借金を返さない」「自分に甘い」といった、フィリピン人のネガティブなメンタリティの本質的な原因は、カトリックの教義に由来するだけの、単純な話ではなさそうです、私はこれを「フィリピン教」と揶揄しております。(笑)


どちらかと言うと、カトリックにおける「許し」は、原因よりも言い訳に使われている気がします。実際はもっともっと根の深い問題で、300年に及ぶスペインから搾取や、その後の日本とアメリカの戦争に翻弄された歴史、マルコス一族によって20年間も奪われた言論の自由など、自分の意思とは無関係に、運命を他人に決められ続けたことへの諦めが、一種の国民性として根付いてしまった、
なので少々頑張っても、結局思った通りにはならなくて、貧乏からも抜け出せない。生きるためには、法に触れることも仕方ないし、少しぐらい不義理なことをしても、神さまは許してくださる...。ですから彼らは、金持ち日本人を騙し金品を搾取したり、窃盗等にも全く罪悪感を持っておらず、神からのお恵みと思っているのが実情です。


なんだか書いていて切なくなってきますが。私の知る限りでは、ちゃんと教育を受けた人たち、つまり経済的に余裕のある家庭に育った人は、そんな風には考えない人が多いと感じます。親の世代も自分も、それ相応に努力が報われてきた、成功体験があるからなんでしょうね。この話も結局のところ、突き詰めてしまえば、歴史と貧困問題に行き当たる。


考えようによっては、どうにも自尊心を保てない人々にとって、神の許しが自暴自棄にならずに済む、唯一にして最後の支え。そうでなければ、日本以上に自殺者を生み出す社会になっていたのかも知れません。


フィリピン社会には、そんな自己憐憫のような許しがある反面、遥かに崇高な許しもあります。
私は昨年、天皇陛下のフィリピンご訪問後、NHKの特集番組でフィリピン御訪問の模様が報道されました、その中で天皇陛下御夫妻のある行動に心を打たれた次第です。

私たち日本人が忘れてはならないのが、キリノ大統領による日本人戦犯への許しであります。


第二次世界大戦中のマニラの市街戦いにおいて、妻のアリシアと5人の子のうち次男・長女・三女の3人が日本兵に殺害されたと言われていたが、実際はアメリカの無差別爆撃に巻き込まれて死亡していた。しかし当時は多くのフィリピン人が戦闘に巻き込まれ更に旧日本軍が、マニラ撤退の際口封じの為多くの民間人を無差別殺害したことが知れ渡っていたため、キリノ大統領の家族も旧日本軍に殺害されたと信じられておりました。


                                  続く

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