太平洋戦争でマッカーサー元帥がフィリピンに固執した真相
太平洋戦争中、マッカーサー元帥がフィリピンに固執した理由は複数あります。一つは、彼がフィリピン占領を許した後に「I shall return」(私は帰ってくる)と約束し、その言葉通りにフィリピンを奪回したことです。また、フィリピン奪還はマッカーサーの私情によるものとも言われています。彼はフィリピンでの日本軍との戦いにおいて個人的な感情を持っていたとされ、その感情が作戦提案に影響を与えた可能性があります2。さらに、戦略的な観点から見ると、フィリピン奪還は日本への補給路を断つための重要な作戦であったとも考えられます。
フィリピン奪還はマッカーサーの極めて勝手な私情によるもの
フィリピン奪還はマッカーサーの私怨で行われた
多くの兵士を犠牲にしてしまう戦争において、私情を挟むのは厳禁とされます。
しかし太平洋戦争時、私怨ともいえる感情で作戦を提案したアメリカ軍将校がいました。
戦後、連合国軍総司令部のトップとして日本などを統治したダグラス・マッカーサーです。
1942年、極東軍司令官としてフィリピンに着任していたフィリピンを攻略してレイテ島に上陸するマッカーサーですが、日本軍の攻撃に屈して数十万の兵士を置き去りにして島を離れてしまいます。
この「フィリピンの戦い」での敗北と逃亡が、エリート軍人マッカーサーの生涯の汚点となります。
その後、マッカーサーはニューギニアからフィリピンを目指す進撃ルートを強く主張し、フィリピン奪還を目指しました。
アメリカ海軍はフィリピンに戦略的価値を見出せず、素通りして台湾を目指す意向を提示しましたが、マッカーサーはあくまでもフィリピン進攻に固執しました。
ここまでこだわる理由は、もちろん雪辱を果たすためです。
マッカーサーにとってフィリピンは、フィリピン軍事総督だった父親の代より利権を多く掌握していた虎の子の地でした。
「マッカーサー王国」と揶揄されるほどで、どうしてもフィリピンを支配下に置きたかったともいわれます。
結局、フィリピン攻略は成功し、マッカーサーはフィリピンへ帰還、宿願は果たされました。
しかし、その私欲のためにフィリピンでの戦争では日米両軍と民間人を合わせて百万人を優に超える犠牲者を出している
しかし、フィリピンで戦争の犠牲となった50万人以上の旧日本軍の英霊の方々は浮かばれることはありません。 合掌