セブ・コルドバの夜は更けて

すみれ会では毎週水曜日、午後1時よりマンダウエのJセンターモール2Fテラス(イミグレーションの外側)で交流会を行っております、参加は会員以外の方でも自由に参加できますので、お気軽にお越しください。

フィリピン教で日本の歴史を読み解く

私達が習った日本の教科書では


鉄砲伝来
1543年のことです。九州の南に浮かぶ種子島(たねがしま)に1隻の船が漂流します。船から出てきたのは、中国人やポルトガル人。中国人の方には驚かなかったでしょうが、ポルトガル人の白い肌、金髪?茶髪?の髪には、当時の人はかなり驚いたことでしょう。
その彼らの船から出てきたのが鉄砲。その鉄砲がその後、日本の歴史に大きな影響を与えることになるのです。
島の領主、種子島時尭(たねがしま ときたか)は、鉄砲を2丁買い求め1つは家宝とし、もうひとつを解体させ構造を勉強させました。当時は、ネジの構造など悪戦苦闘が続いたようですが、やがて堺や国友、根来などで国産されるようになると、戦国大名たちがこぞって買い求めるようになっていきます。



布教活動に名を変えたヨーロッパの武器商人がやがて戦国時代の日本に目を付けたのは当然の事であります

ザビエルの布教
その少し後、1549年にはフランシスコ・ザビエルがキリスト教を広める為、鹿児島に上陸。2年間、九州、中国地方を中心に布教活動を続けますが、全国的な布教にはいたらず帰国。その後、ガスパル・ヴィレラやルイス・フロイスらによって布教は続けられ1582年には信者は15万人程までに達したといわれています。
しかし、その後の1596年にはスペインが布教活動を植民地化に利用しているのではないか?という噂が流れ豊臣秀吉は石田三成にキリスト教徒の逮捕を命令。26人の宣教師が処刑される。
また、キリスト教は徳川家康にも嫌われ、1612年には禁教令が出されることになります




フランシスコ・ザビエルはスペイン人であり日本にカトリック教を布教した事はご存知の通りです、同時期にマゼランがセブに上陸しカトリック教を布教しました。
これらは当時世界で最も強大であったスペインの植民地支配の為の世界戦略に日本と
フィリピンは同じ島国で有ることから狙われていたと考えても不思議では無いと思います。
織田信長はスペイン文明の力を利用し天下統一の一歩手前まで行き、本能寺の変で
夢を果たせませんでしたが、仮にスペインの力を借りて天下統一を果たしていたら間違いなく日本はスペインの植民地と成っていたと思われます。
世界中のスペインの植民地は徹底した愚民化政策に依り現地人には教育を施さなかった為、現在でもスペインの旧植民地だった国々は一部を除きほぼ後進国から抜け出せずにおります。
一歩間違えれば日本もフィリピンと同じ水準に甘んじていた可能性があると考えるとゾッとします。
江戸幕府はこれらの流れを警戒して鎖国政策を行ったと考えても不思議では無いと思います、そして江戸時代300年の間に日本独自の文化が花開き、現在は世界3位の大国へと道が繋がっていると理解しています。


フィリピンの国民性はカトリックに名を借りた「フィリピン教」に由来し、基になっているのはスペインの愚民化政策であり、自ら額に汗する事は考えられずひたすら神からの贈り物を待っているのであります。
しかし、最近は自ら額に汗すれば稼げる事に気付き始めた人々が都市部を中心に富裕層や中間層となり増大しており、此の国もようやく豊かになる為に歩み始めたのカナ?


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